東日本大震災から14年が経過して原発事故による帰宅困難区域も順次解除されてはいるものの、その土地に震災前に住んでいた人々の故郷回帰には課題が山積している。
東日本大震災・原子力災害伝承館(双葉町)による2024/12/1時点の資料(下の表)によれば、現在その土地に住民登録(住民基本台帳)している書類上の人口はそれなりにあっても、実際に居住している人口(居住人口)は場所によって極端に少ないままに留まっているのが現実だ。
東日本大震災・原子力災害伝承館の展示資料から |
2015年に帰宅困難区域が解除されて街としてしっかり機能しているように見えた富岡町(今回のゴール)でさえ、居住人口はわずか2500人台で台帳上の人口の1/4にも満たない。まして、福島第一原発に近い双葉町では、震災前には7000人超の人口であったのに対して現在の居住人口はわずか170人(!)にとどまる。宿泊した浪江町でも2200人規模に過ぎない。
日々の報道やネットでこうした数字に触れてはいても、実際の街の姿はどうなっているのか。今でも近づくことのできない第一原発周辺の中間貯蔵施設とはどのような姿をして人々の暮らしのどれくらい近くにあるのか。自分たちの足で実際にその地を踏んで知っておきたいと思った。
4/14(月)の夜に出発して仙台泊。翌4/15にJR常磐線で原ノ町駅(南相馬)まで移動して走り歩き旅スタートし、浪江泊。4/16に浪江から双葉、夜の森などを経て富岡駅にゴールした。
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1日目(4/15) 24kmほど+JR(小高→浪江)
原ノ町駅から浪江。曇のち雨の天気予報が的中して小高~浪江はJRに乗った。浪江では請戸川の桜並木を歩くも雷雨と強風でびしょ濡れとなってホテルに辿り着いた。
原ノ町駅は今回のコース中で唯一の有人駅だ。駅前には立派な図書館もある拠点都市から走り始め、「ふくしま浜街道トレイル」のモデルコース(*)にほぼ沿って進む。駅前は賑やかだがすぐに東ケ丘公園から自然豊かな土道となった。桜や花桃が咲き、湿地には水芭蕉が咲いている。早春には有名な相馬野馬追が行われる広い草地を眼下に見ながら太田川沿いに出て、川に沿って河口まで進んだ。
* https://fukushima-coastal-trail.jp/ GPXデータも利用できるため初めての土地で迷わずに済んだ。
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青:4/15のルート記録、赤:モデルコース 原ノ町でGPS記録開始失敗したが、青線起点まではモデルコースと同じルートを辿った |
原ノ町駅 相馬野馬追は現地の一大イベントだ |
トレイルは自然豊かな土道から始まった |
水芭蕉の咲いた湿地も |
相馬野馬追が行われる野馬追祭場地 |
太田川下流には広大な水田が広がっている 5月連休には田植えが行われるという 荒れた印象はなかったのでほぼ全部で耕作が行われているのだろう |
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太田川河口と河口両側につながる防潮堤 |
河口からしばし海沿いに南下すると、巨大防潮堤が見え隠れしつつも走る道は穏やかで、あちこちに桜が満開。足元にはつくしんぼうにヒメオドリコソウが春を演出している。ただし、人の姿とはほとんど出会えず、鯉のぼりが泳いでいる家を見るとほっとした。人の姿は、民家横の土道から畑仕事をしている老人の姿をみかけたくらいだ。この辺り、住んでいないわけではないだろう、外に出ていないだけか?
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太田川沿いは一見のどかな田舎町だ 桜が満開 |
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つくしんぼうやヒメオドリコソウがそこかしこに生えている 人に会わない以外はのどかな風景だ |
やがて小高川に沿って再び内陸へと進んでJR小高駅に至る。小高は居住人口5000人ほどある街を活気づけようとする官民の計画が進んでいるというがさほど感じられなかったのは降り始めた雨のせいもあっただろうか。
駅前通りで唐揚げを売りにしているお店でお昼を食べている間に音を立てて雨が落ち始め、前線が通過したらしく気温が急降下して傘をさしても走り進むのは難しくなってしまった。
やむなく電車に乗ることに決めて2時間1本の常磐線を小一時間ほど待ちながら、雨宿りを兼ねてふらりとブックカフェ「フルハウス」に立ち寄った。暖房が効いてほっとする小部屋はいろいろなジャンルの本で埋まり、おいしいコーヒーをいただく。そうするうちに、ここが地元出身の作家柳美里さんのお店であることを知った。名前を知っていただけで私は読んだことがなかったのだが、次の作品は翌日に通る予定の常磐線夜の森駅がテーマと知って急に身近に感じられた。刊行されたら手に取ってみたい。
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小高の街に入る手前に小高神社がある 絵馬は野馬追だ |
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無人の小高駅 桜並木を走っているうちに黒雲が広がってきて雨が降り始めた |
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小高駅そばにあるブックカフェ「フルハウス」 地元の作家柳美里さんのお店と知った |
小高駅からその日の宿泊地である浪江駅まで、走るルートでは12kmほどあったのだが、電車に乗ってしまうと10分もかからない。浪江に降り立ったのはまだ午後3時にもなっていなかったにもかかわらず、雷が鳴り始めて辺りは夕方のように暗くなっていた。やがて吹き降りに。傘と防水のオーバーズボンはあったがシューズはびしょびしょになってしまった。請戸川沿いの満開だった桜並木も吹きつける風雨に揺れていた。
濡れたまま道の駅なみえに立ち寄ってみる。地元の野菜などはほんの少しで多くは東北全域のお土産品。無印良品まで入っていて、顧客層はどうやら各地からやってきて連泊している復興作業員と地元民のスーパー代わりというところか。
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浪江 請戸川沿いの桜並木で雷雨と強風に遭った 下:雨中の「道の駅なみえ」 |
ホテルで雨が小止みになるのを待って夕食に出た。近くの鮨店。この地は、常磐ものとして知られる魚の中でも請戸漁港に水揚げされる「請戸もの」。原発事故のあとは風評被害などあって大変な時期があったようだが、魚は大変においしい。私たちの他にはついに一人も客が来なかった小さな鮨店で、おやじさんから話を伺いながら漬け丼や刺し身を味わった。
ホテルやAEONなどもある浪江の街だが、居住人口はわずか2200人。産業を興してゆくには顧客の人数があまりに少ない。少ないから出店が限られ、店がないから人が増えない。鮨店の店主もそう嘆いていた。自治体は格安で店舗を提供するなど取り組んでいるが、街全体が今ももがき続けている。
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余録 小高駅から浪江駅までのSuica精算
小高駅にも浪江駅にも改札口にSuica精算機はあるしどちらもJR東日本でありながら、この2駅間を乗るとき通常の方法ではSuica精算できない。理由は、Suicaの「エリア」が異なるからだ。小高駅以北は仙台エリア、浪江以南は首都圏エリアに属しておりちょうど境界線をまたぐ区間なのだ。Suica精算できるのは同一エリア内に限られるのだそうだ(サーバーの計算容量などの理由らしい)。両駅とも無人駅であり車内精算もできないため、乗車時に「乗車駅証明書」を同発行機という機械で発行してもらい、降車駅の精算機で「乗車駅証明書の精算」ボタンを押してやっとSuica精算できる。改札機はないので悪意で無賃乗車できてしまうとも言えそうだ。こんな手続き、旅行者にはわからないが、駅にあるインターホンで有人駅の駅員さん(たぶん原ノ町駅なのだろう)に相談すると教えてもらえる。自己申告でお願いしますネとやさしく諭された。ちなみに、両駅の間にある桃内駅はどちらのエリアにも属しておらず、この駅ではそもそもSuicaは使えない。また、エリアの境界線は常磐線以外にもあるはずだろうと思うのだが、真相はまだ闇の中である。
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