6月29日~30日 東北被災地ランニング旅行(第8回) 妻同行 気仙沼大島



東北大震災から8年が経ち、土地によって程度の相違はあるものの街も里も大きく姿を変え、剥き出しの瓦礫や廃墟を見ることは少なくなってきました。これを復興と言うか否か様々な考えがあるでしょうが、私の被災地ランニング旅行が観光的色合いを帯び始めたことは喜んでもよいことなのだろうと思います。


 金曜夜遅く釜石に着いて前泊。翌朝、三陸鉄道の始発便で大船渡(盛)、さらにBRTに乗り継いで気仙沼に入りました。


 気仙沼湾に浮かぶ大島に気仙沼大島大橋(鶴亀橋)が開通してフェリーで渡る必要がなくなってから、まだ3ヶ月と経っていません。その真新しい橋を渡って大島に入りました。橋前後のトンネルが面白い。橋前が浦島1号、浦島2号。島に入ると乙姫1号~3号。


 龍宮城はと探すと、島の南端に「龍舞崎」(たつまいざき)。島北部は小高い山になっていて、これが「亀山」。浦島さんの亀さんが乙姫様を見おろしてる。唐桑半島から気仙沼湾まで一望のもとです。島の南北に伸びる背骨に沿って、亀と龍を走り訪ねました。今夜の民宿は島の真ん中にある。(海の幸のお料理がすさまじかった)


さて、

大島には胡桃の樹がたくさん自生していました。ピンポン玉ほどの緑色の房が、ここにも、あそこにも。静かな島の暮らしが思われます。


   平穏の 顔して実る 青胡桃


 架橋によって使われなくなった桟橋には、もはや人の姿もなく静かでした。近くでなにやら果樹の収穫をしていたご夫婦の話を聞きます。その果樹は唐桑(からくわ)、普通の桑の実より大きくて親指の先ほどもあります。葉を茶にする、黒く熟した実はジャムにするとおっしゃる。樹を植えて十数年、津波を免れ、子どもを育てるようだと。去年わずかだった実が今年は豊作とのことでした。


   唐桑の漆黒 島に笑み恵む

   桑の実の ほろりこぼれて 指甘し


 南の突端、龍舞崎にある店で食事を終え、出かけようとすると老主人と店の前で立ち話となりました。震災の時へと遡った話はぽつりぽつりと続きます。細やかな雨が静かに眼前の広場を湿していくのを眺めながら聴き続けていました。


   島の地に 浸む五月雨と 物語り


 島は気仙沼と陸続きになって生活が変わってゆくのでしょう。架橋の是非については長年の議論があったといいます。橋が現実となって、期待する声と懸念する声がありました。


   橋架かり 戸惑いまとう 送り梅雨


 翌日曜日は朝からしっかり雨になりました。旅先とあって残念ですが走れません。BRTで南三陸町まで移動すると、志津川の魚市場で月に一度の「福興祭」にちょうど出会いました。銀鮭、牡蠣、ほたて。豊富な幸。おいしい昼食にありつきます。ベテランの活気と若者の活気と。震災時には中学生くらいだったろうか。


   五月雨の中 福興の声若し


 二日目に天候が崩れたことで自分たちの足で踏むことのできた範囲は限られた旅行になりましたが、土地の方と多く接することができました。人々の表情は総じて明るい。その明るい表情の奥深くには、しかし、8年前から続いている苦しみがしっかりとそこに在ることもあらためて実感した旅でもありました。


 また、来よう。

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