【最終回】 私はこう読む 「楽しいランニングのススメ」 第13回


[あとがき]


「楽しいランニングのススメ」 山西哲郎ほか著 創文企画 2011年

 無償の電子版(山西氏執筆による章限定)をご利用ください。

 楽走プラス 楽走の本棚 電子版「楽しいランニングのススメ」


[この連載は、個人の解釈です。著者山西先生の確認を経た解説記事ではありません。]


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今回のテキスト:


あとがき


一生楽走、一生青春


 これは、私が一番好きであり、目標にしている言葉です。「なぜは走っているのですか」と問われれば、「楽しいからです」と答え、「走る目標は何ですか」と聞かれれば、「この世を去るまで楽しく走りたいのです」と、そして、この世で一番楽しいことは走ることですと、言いたいくらいです。しかし、今や、私のように楽しく走る人は多く、別に、驚くことも、「変わった人」とも思われない時代になっています。

 1960年代の後半から70年にかけて、それまでアスリートのランナーしかいなかったランニングの世界に中高年の走者が路上で走り始めました。彼らは年を取ってゆっくり走るしかできないが、表情は豊かで明るく、「走ると楽しいのだよ」と言葉を交わし合う。そして、ある高齢の方と一緒に走った時、「見えないものが見えてくるよ」と哲学的な言葉を聞き、当時箱根駅伝の指導していた私には走る楽しさの広がりを覚えました。

 73年に、中高年ランナーと「ホルプマラソン学級」と称してランニング教室を東京の代々木公園を会場にして始めました。月一度の集まりでしたが、北海道から九州まで全国各地から駆けつけ、「楽しく走ろう」をモットーにして年も仕事も忘れ、心と体を解放して一緒に走っていました。そして、なぜ走るのか、いかに走るかを皆で語り合い、それをまとめて私が出版したのが『走れ』(成美堂出版)でした。その私の初めての本がベストセラーになるほど売れたのは(?)、やはり、「なぜ走ることが楽しいのだ」という疑問と「走ること楽しい」という共感から生じた現象でした。

 その最初のページに尊敬する当時世界的な指導者のパーシー・セラティが著作『チャンピオンへの道』のなかで述べた次のような言葉を引用しました。「ランニングは大人の遊びである。スケジュールに縛られた退屈な単調な課業になったとき、我々は自然から遠ざかり、楽しさを失ってしまうのである」

 私がこの本に触れたのは、学生時代で箱根を目指していた時でした。日々、自己の記録の更新と他との競争で走っていたために、苦しさや厳しさが先行をしてしまい、それを成し遂げたときでなければ、嬉しさと楽しさを感じられませんでした。でも、セラティの言葉を知ってから、楽しさを結果ではなく走っている時に感じられるようになってきました。やがて、単調にぐるぐる回るトラックを離れ、道路や野山を走りマラソンを目指し始めました。そして、中高年や女性、障がい者という今までランニングに縁が薄かった人とともに体で感じた楽しい感覚を共有できるようになりました。

 以上、長々と私の走る楽しさの創造を述べてきましたが、走らされるのではなく恣意的に走る人ならば誰しも楽しさを感じ、いろいろな楽しさを創っていけると言いたかったのです。たとえ、マラソンの30km以後ゴールを目指しているとき、疲れと痛みに耐えながら「もう二度と走るものか」と決めつけても、終わってみれば苦しみはどこかに消え去り、走り遂げた充実感が新たな楽しみを創っていくから不思議です。

 この不思議さを語り合える走る雑誌にしようと仲間と出版したのが、『ランニングの世界』です。編集をする私たちの職業はジャーナリスト、ライター、サラリーマン、大学教員、看護師、トレーナーと多種多様ですが、この雑誌は「楽しく走ること」を共通の目標にして、体や心や脳、そして、走り方、大会などいろいろな角度から語ってみました。


 このあとがきを書いているとき、東北関東大地震が起き、幾千人を超える生命と町が失われてしまいました。被災地の人々には生活もなく、とても走る楽しさを味わうこともできません。しかし、走ることは我らの生活生存を支えることであり、生活をエンジョイする走る文化です。となれば、悲惨の大地を走る一歩一歩の足跡から生活が甦って、ランニングを楽しめることができる人や町が再生されると思います。それは誰しも歌を歌い、絵を描いてみたくなるように、楽しく走りたくなる感覚が自分の中に潜んでいるからです。


 さて、読者の皆様の楽しい走る世界はいかがでしょうか。この本を通して語り合ってみたいものです。


2011年3月

執筆代表 山西哲郎


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 本書を通じ、著者山西氏は一貫して書名の通りの「楽しいランニングのススメ」を説いてきました。あとがきに述べられていることも当然にその集大成です。著者はこう述べています、「長々と私の走る楽しさの創造を述べてきましたが、走らされるのではなく恣意的に走る人ならば誰しも楽しさを感じ、いろいろな楽しさを創っていけると言いたかったのです。」

(「恣意的」とありますが、文脈から推して「自分の意志で」の意味と解釈しています。)


 誰かによって走らされるのではなく自分の意志で走る、このことによって「誰しも楽しさを感じ、いろいろな楽しさを創っていける」と言うのです。そうすることによって「楽しさの創造」をすることができるとも主張しています。走る楽しさは、自分の意志で走って創造するものだ、誰かから楽しさを与えられるのではない、これは著者のランニング観の中でも中心となる考えの一つだと思います。


 自分が誰かに走らされていると思っている人は少ないかもしれませんが、ここは一つよく思い返してみる価値があるように思います。誰かがあなたの横にやってきて「走れ」と命ずるようなことは競技者であっても今日では多くはないかもしれませんが、日々ランニングの大会やクラブやネット情報に接している中で、私たちは、いつのまにかランニングとはこういうものだといった固定的な考えを刷り込まれてはいないでしょうか。それもまた誰かに走らされていると言えるようです。


 ランニングは自由に行うものだと思います。自由にとは自分の意思でとほとんど同じことですし、どのような形であってもよくて、それだけ多様性をもっているということです。それは「遊び」の観念に深く通じるものです。人間の本質をホモ・ルーデンス、遊ぶ人、と考えたヨハン・ホイジンガは、遊びの第1条件として本人の自由な意思に基づく行為であることを挙げています。


 テキストでは、パーシー・セラティの言葉が引かれています。「ランニングは大人の遊びである。スケジュールに縛られた退屈な単調な課業になったとき、我々は自然から遠ざかり、楽しさを失ってしまうのである」 セラティもまた、遊びとして走ることを勧めていました。


 このメッセージの原文(ATHLETICS: How to Become a Champion)は、「Our athleticism must be, and should be, adult 'play'. It is when we make it work - dull, routined, scheduled, treadmill work - that we depart from the natural; the joyous; the exhilarating.」となっています。そして、さらに次のように続いているのです。「Those who subscribe to the printed schedule, the 'daily do-this' coach authority, are little likely to know the joys and pleasures that true athleticism can bring us, young or old. 要旨:日々のトレーニングメニューに従うことばかりを求めるコーチなどは走る喜び(joys and pleasures)をちっとも分かっていないのです。


 セラティがこの本の読者として想定したのは競技者として意欲ある挑戦者(trier)だったのに対して、山西氏が想定したのは、競技者よりも市民ランナーとして走り始めた中高年などむしろ競技者以外の人々でした。両者はまるで異なる読者層を想定していたとも言えるのですが、それにもかかわらずランニングの本質は自由な精神に基づく「楽しさ」であるべきこと、そして「遊び」の精神に通じることという見事に一致した結論に達しました。このことは、競技者であれ一般の市民ランナーであれ、ランニングの本質に変わりはないことを雄弁に示していると私は理解しています。


 もう一つ、著者山西氏は重要なメッセージをこのあとがきで示したと思います。それは、「楽しさを結果ではなく走っている時に感じられるようになってきました」という言葉です。私たちの多くは、自己や他人に勝つこと、大会でのタイム、達成感、健康増進、あるいはダイエットなどといったことを目標あるいは目的として走っていますが、これらはいずれも、走った結果として得られることです。走った結果物のために走るのであれば、走ることはその結果を得るための単なる手段・方便に過ぎません。所詮手段に過ぎないのであれば誰か有名選手やコーチといったオーソリティやハウツー本などの言うことにおとなしく従ってその通りに走ったほうが効率よく結果にたどり着くことができることでしょう。目標達成のための手段であるならば、ランニングは楽しく行う対象というよりは痛くても辛くても我慢をすべき対象になってしまいます。


 それは先ほどの「走らされている」状態に近づいてしまうことだと思います。山西氏が言う「楽しさを結果ではなく走っている時に感じられるようになってきました」とは、走る目的を走った結果に求めてしまうと、容易に「走らされている」ことにつながるということ、そして、結果ではなく走っている時に楽しさを感じよう、走ることそのものを楽しもうというエールの言葉であろうと私は思います。


 あの2011年3月に書かれたこのあとがきは、東北関東大地震(東日本大震災)の被災地の人々に向けた言葉で締めくくられています。走ることは我らの生活生存を支えることであり、生活をエンジョイする走る文化であると宣言したこの部分は、私たちのランニングがいかに価値のあるものであるか、価値のあるものになり得るかを雄弁に語っています。大震災からまもなく13年が経過しようとしています。被災された方々が、「一歩一歩の足跡から生活が甦って、ランニングを楽しめることができる」ようになられたことを切に願っていますし、被災者ではない私自身を含めた多くの人々にとっても、ここに述べられたことは普遍的に当てはまることです。そして、1960年前後から始まってまだ半世紀と少ししか成長してきていなくて若く発展途上のスポーツである市民ランニングが、著者山西氏の願う「楽しいランニング」として生活の中に根付くことを私もまた心から願うものです。それこそが「走る文化」に他ならないからです。


 あとがきのサブタイトルにあります「一生楽走 一生青春」は、私たちが走る文化に向かって成長し、市民ランニングを成長させていくための羅針盤です。68歳となりました私も、この言葉「一生楽走」を座右の銘としてこれからも楽しく走り続けて参ります。


 この連載は、今回で終わります。長い間おつきあいをいただきました読者の方々に心より感謝を申し上げます。


 2023年12月

北島政明


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