本年4月11日に、コロナ禍など多くの困難を乗り越えて開催されました。
アドバイザーとして参加された山西哲郎先生から当日の感想が寄せられました。
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ここに自由なる走春がやってきた。
一昨日は岡山高梁マラニック、これは感動の一日でした。
この備中高梁歴史街道ウルトラマラニックは、村松達也氏を委員長とする吹屋歴史街道マラニック実行委員会が主催しています。アドバイザー、山西。言い出しは西村かおる氏(ランニングの世界・友の会会長)。もう11年やってきた大会でしたが、昨年は中止せざるを得ませんでした。しかし、今年は必ず実施するとの強い意志のもと、村松委員長はじめ、市や町、村の人たちで相談に相談を重ねて、ゴーサインが出たのです。
4月11日の星降る午前4時、吹屋の会場で受付開始。4時半に開会式で、村松氏がコースなどを説明。気温零度の会場で震えている参加者のみなさんを前に、山西は準備体操を行いました。そしてランナー200名は、高梁市長のピストルの合図でスタートです。
コースは、一昨年までは高梁市スタート・吹屋ゴールだったところ、今回は吹屋スタート・ゴールになりました。4,5㎞の坂道が2,3か所増え、むしろ、難コースです。
寒さに震えながら走り始め、やがて大陽が顔を出すと、その光の明るさと暖かさでランナーの表情は輝き、走るリズムは柔らかくなっていきます。桜は散り始めていましたが、山桜と薄緑の若葉が広がり、菜の花畑が黄色に浮かびます。その中をゆっくりと走る仲間は次第に自然に溶け込み風景を創ってくれるようです。まさに、自然走マラニック。
最初から最後まで、ランナーたちは適度な間隔をとり、マスクをしてのコロナ対策。そして8、9か所のエイドでは、感染防止対策として机の上にドリンクやおにぎりなどが置いてあり、自ら取って飲食する方式でした。
はじめは下り、中間からは上りの坂道が多くなりますが、個人の走力や練習慣れによってコースを選び、60㎞にするか70㎞にするかの距離が決まってきます。その選択が自らの挑戦にもつながるのですが、むしろ自分が選んだ自由さが楽しさとなって「私は60キロで楽しみます」と言ってくれるのです。坂道が多い70㎞組は、挑戦的な気持ちを出して「気合入れていきます」。走る言葉は各自の身体の言葉ですね。
成羽、・・備中・・沈下橋・・夫婦岩・・といったエイドでの地元の方や走る仲間との語り合い。走ることは、風景や自分、そして友と対話して考える時間となっていきました。
前回までは後半になると景色は暗くなってきていましたが、今回は早朝スタートだけにゴールするまで明るく、いつもとは違い自然は走りを支えてくれるに違いありません。
そして、午後2時ごろから明るいうちに、いつものラ・フオーレ吹屋にほとんどのランナーがゴールしたので、僕はびっくり。
皆、スマイルで「楽しかったです」、「ほんとにうれしいです」、「最後まで行けました」、「坂道も意外に楽しかったです」、「自然がきれいでした」と口々に。そして、ほぼ全員から「来年も来ます」の言葉にまたびっくり、感動の僕。これほどうれしい言葉が、今年の大会の証でした。
コロナ禍で日々のランニングも困難でしたが、生活の中で、皆が工夫して苦労して走りを創り上げた成果が、本当のランニング文化を創ってくれました。
長年関わってきた僕にプレゼントをしていただいたような気持になってしまい、ありがとうを繰り返す僕だったのです。
2021.4.12 山西哲郎
好天に恵まれ!の言葉がそのまま当てはまる一日でした。
裏方一同、「やはり、開催してよかった」という思いです。
参加賞の「ランニングの世界」にも書きましたが、まさにソーシャルキャピタルを実感した日となりました。
・コロナ禍にありながら、自宅トイレをランナーに解放してくださった方。
・ダム沿い旧道を箒とスコップで裸足で走れるほどキレイにしてくださった方。
・コロナ対応でもてなしは出来ないのでせめて花でもと梨の木を切って飾ってくれた集落の皆様。道案内まで買って出てくださいました。
・自宅商店の前に色とりどりのTシャツを飾り大きな応援看板を作って応援してくださった方。明日から来年のプランを練るんじゃ!と嬉しくて泣けそうでした。
何より、嫌というほど登らされた坂だらけのコースに、準備不足のような運営に不満いっぱいだったでしょうに、ゴールすると満面の笑顔で喜んでくださったみなさま、ほんとうにありがとうございます。
備中高梁歴史街道マラニック
村松達也
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