付録 私はこう読む 「ランニングと脳 走る大脳生理学者」

付録として、「楽しいランニングのススメ」の中に記載された本をご紹介します。

今回は、

「ランニングと脳 走る大脳生理学者」 久保田競 朝倉書店(1981)



 1981年に出版された「ランニングと脳」は、「楽しいランニングのススメ」第1部第2章「ソクラテスになって走る」の中の、「1.脳の構造とランニングの種類」(連載第7回)で紹介されました。


 久保田氏は、本書の中で、『(私は)「心」の安定を求めて走っているのであって、私が走るのは「たのしみのためのランニング」「あたまのためのランニング」と本書では名づけたい。』との思いを述べていました。


 そして、それから30年後、久保田氏はスロージョギングで有名な故田中宏暁氏との共著になる以下の本を出してこう述べています。


『走る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら走らなソンソン

徳島の阿波踊り 「同じ阿呆なら踊らなソンソン」とはよく言ったものです。

実は走るのも同じです。駅伝、マラソンなどは見ているよりも、走ったほうがずっとずっと楽しいものです。なぜそんなことが起こるかといえば、ヒトの脳が走ることを楽しいと思うようにできているからです。』


走ることは楽しいことです。 脳がよくなり、体がよくなり、心がよくなる。』


仕事に効く、脳を鍛える、スロージョギング (角川SSC新書 2011)

久保田競、田中宏暁 (分担執筆)

(以下、「新しい本」と呼びます。「楽しいランニングのススメ」と同年に出版された本です。)



 「ランニングと脳」から30年の間に脳科学は大きく進歩しました。特にfNIRS(機能的近赤外線分光法)などの非侵襲的分析技術の発達により脳の細かな部位ごとの機能の知見が飛躍的に蓄積され、ランニングとの関係についてもより詳細にわかって来ました。「ランニングと脳」で紹介されたときには大脳皮質として一括して記載されていたところが、「新しい本」では、下図の脳地図を紹介して前頭前野(特に10野(前頭極)と46野(中前頭回))が果たす具体的機能がランニングとの関係において説明されています。


(2つの図は、いずれも「新しい本」から引用)



 「新しい本」に記載されている10野や46野の内容は、ここに引用して示すには詳細すぎますので原文を見ていただくとして、久保田氏はランニングとの関係をこうまとめています。『スロージョギングによって、この前頭前野が強化されることが明らかになっています。走るという動作は非常に複雑に脳を刺激するとともに、走ることがもたらす血液循環の改善やホルモンの分泌が脳の発達を促します。実際、運動によって脳の容積が大きくなり、脳の各部位が活性化していることが報告されています。』


 さらに、さまざまな新しい知見に基づいて、例えば、『報酬系は、ただ走るだけでも活性化することがわかっています。』などのように走ることが脳の機能に良い影響を与えることを説明してくれています。


 そして、以下は、ランニングを愛する脳科学者としての思いが凝縮されていると感じられる下りでした。


 『かつて樹上生活を行っていたわれわれの祖先は、地上に降り、直立二足移動になり、そして走ることで豊富な栄養と大きな脳を手に入れたといわれています。そして、「走ることで脳が強化される」という仕組みは今も私たちの体にしっかりと残っているのです

 人類が狩猟生活をやめて数千年。その間、人類の進化は止まっているといってよいでしょう。

 しかし、現代人が走ることで脳を強化できるのならば、スロージョギングはここ数千年止まっていた進化を再び進められるということができるのではないでしょうか。』


 久保田氏は、こうした脳科学者としての知見を踏まえた上で、『走ることは楽しいことです』と30年間一貫して変わらなかった思いを伝えようとしました。こうした記載は、山西氏が述べた『より人間らしく走りを楽しみたい』(第7回)との思いと同じところに行き着いていると私には思われるのです。


 『人間は走ることで人間となった』 久保田氏の結論です。



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余白


 久保田氏は高名な脳科学者でありながら、なかなかに茶目っ気のある方でもあります。

「ランニングと脳」には、「第10章 私にも一言いわせて ―― 家内からの一言」という章が加えられており、その名の通り奥様が書かれた章なのですが、辛口かつウィットに富み、ご夫君への深い愛情が感じられて微笑ましい文章です。ご夫君には失礼かもしれませんが、私が一番にこにこしながら読んだ章でした。


 奥様による章はこう締めくくられています。

『酒は飲んでも、酒に飲まれぬいい男になったらなぁー、あぁー、もう一度私は彼に惚れ込むのだけれど。』


 本書は新装版が2009年に出版されて現在でも入手可能のようです。「新しい本」と共に、ぜひご覧いただきたい好書です。



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