「お元気ですか?大作戦」投稿リレー 「龍門山だより」 by 仲谷淳さん


[末尾に仲谷さんの紹介があります。]

みなさま、はじめまして。北島政明さんからお誘い頂き、飛び入り参加させて頂きました仲谷です。山と伝統工芸品が大好きなシニア世代です。何を紹介しようかと迷っているうちに、北島さんからお尻にマッチを当てられました。


 20年前に転職で郷里和歌山を離れ、島根県出雲市、茨城県つくば市、三重県津市を経て、この春、戻りました。我が家の裏山には、「紀州富士」と言われる龍門山(標高756m)があり、近畿百名山と関西百名山に選ばれています。久しぶりに、龍門山に登りましたので、紹介させて頂きます。

〇桃源郷ハーフマラソン会場からみた龍門山

 私が住む紀の川市は、ミカン、ハッサク、モモ、カキ、ナシ、キウイ、スモモ、ウメといった果物の産地で、フルーツ王国としても有名です。マラソンでは、「あら川の桃」で知られる旧桃山町を中心に、一部、紀の川の堤防を走ります。写真は、その堤防からみた龍門山で、手前に桃畑が広がります。大会時期には、ピンクの桃の花が満開となり、とても綺麗です。機会があれば、ぜひご参加ください。

*「第16回紀の川市桃源郷ハーフマラソン」は、令和3年度の開催を中止し、令和4年度へと延期されました。

〇田代登山口から山頂を目指す

野生化したキウイ

登山口は標高300m付近にあり、以前は、このあたりまで立派な果樹園が広がっていました。しかし、今では放棄された畑も増えています。写真は、登山口近くの放棄果樹園のものです。高齢化した農家にとっては、作物は作れても、短期間に行われる収穫は大きな負担です。「収穫の苦しみ」との言葉も耳にします。

〇心和ませるササユリたち




登山道をしばらく歩くと、清楚なササユリと遭遇します。その後、頂上までには、疲れたころを見計らったように出現し、幸せな気分に。

ササユリの花ことばは、「上品」。

〇塵無池(ちりなしいけ)の周辺

塵無池は、田代登山口から山頂に至る標高470m付近にある小さな池で、龍門山の崩壊時に没落してできたようです。竜が出現したとの伝説があり、山の名前の由来になったとのこと。

登山道の上には、池に向けて、矢印状に石が並べられていました。よく見ると、そばのスギの木にイノシシが泥を付けていました。人とイノシシの道しるべが一緒に並んでいるようで、ふと笑えました。

坪内稔典さんの「三月の甘納豆のうふふふふ」を思い出し、

登山道 いのししの跡や うふふふふ (失礼)

水が少なくなっていたが、足の生えつつあるオタマジャクシがたくさん。

イノシシのヌタ場

 池(左)のそばに、イノシシが泥浴びをする円形の「ヌタ場」を見つけました。6月はイノシシの出産期ですが、付近には、子どもの小さな足跡が見つからないことから、まだ、生まれていない様子。ちなみに、先ほど見たスギの泥は、ヌタ場への道しるべ?

〇性転換する植物

 テンナンショウの仲間は、性転換する植物として有名です。葉の数が小さいときは、生産エネルギーの少ない花粉をつくり(オス)、葉が多くなると実をつくる(メス)という。状況に順応した生活スタイルで、双方向に性転換する。動物では、魚類のクマノミなどが有名で、この場合は一方向のよう。

〇県指定天然記念物の磁石岩

山頂近くには、岩全体が磁石となっている蛇紋岩の岩があります。コンパスを近づけると、針が振れます。

〇龍門山の山頂とそこからの眺め


山頂から北を眺める

頂上には立派な標識があります。山頂からは北に視界が開け、中央構造線に沿った和泉山脈とその南を流れる紀の川が見えます。紀の川流域には街が、周辺の傾斜地には果樹園が広がって、のどかな田園風景を眺めることができます。有吉佐和子の小説「紀ノ川」の舞台にもなりました。頂上からは、西には淡路島が、北西には和泉山脈の合間に六甲山が見えました。下山ルートは、田代コースとは異なる中央コースを選びましたが、このコースについては別の機会にご紹介する予定です。

*気が付かれましたか。実は、紀の川と紀ノ川、さらに紀之川は、今も地元で混在しています。最近では、次第に「紀の川」となりつつあるようですが・・・。

〇登山道で出会った植物

カキノハグサ

タツナミソウ

トラノオ

シロイトソウ

コウゾの実


イノシシ一口メモ


私はイノシシを対象に、動物社会の成り立ちについて研究しています。これまで、野外でイノシシを観察した時間は、おそらく10,000時間を超えます。ときには、36時間連続でイノシシを追いかけました。

ところで、最近、狩猟と農業被害対策などで、毎年50万頭ものイノシシが捕獲されています。おそらく、捕獲される前の生息数は100万頭を超えるでしょう。それほどたくさんのイノシシが全国に棲んでいるにもかかわらず、私たちがイノシシと出くわすことは、ほぼ皆無です。それは、イノシシが気を利かせて、人を避けて暮らしているからです。この写真は、木陰で休息する仲睦まじいイノシシの親子で、この様な母子関係は翌年の出産期まで続きます。密度は濃いが、短い親子関係でもあります。

仲谷淳さんは、私の大学時代からの長い友人であり、私の山登りの師匠でもあります。茨城県つくば市の公的研究機関でイノシシの専門家として活躍され、記事中にあるとおりこの3月に退職して故郷の和歌山に戻られました。動物に詳しい彼と山を歩いていると、鹿やイノシシ、熊などの痕跡を実地教育してもらうことができて、一味違う山歩きを楽しむことができたものです。

 一方、私からは走ると楽しいぞと言い続けていましたが今ひとつ効果があがっておりません。どうやら平地を軽やかに走るよりも登り下りの山道をのっしのっしと歩く方に魅力を感じているらしく、「走」も「歩」も同源と思えば、それもまた良しと思うのです。実家のお母様に親孝行できる生活となって、これから故郷で暮らしのリズムを作りながら、楽走プラス和歌山支部としてときどき山の話、イノシシの話など聞かせてほしいと願っています。ちなみに、私はわが師匠のお尻にマッチを当てたことはございません。無実です。[北島]

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