2021年09月12日(雨) 「熊野古道(紀伊路)だより」番外編 (後編) by いのこさん


さて、田辺市探索の番外編について、天神崎以降の後半です。

<前編は、こちら>
前編はこちらからどうぞ


ルートの概略(後半)
⑧天神崎 → ⑨植芝盛平生誕地 → ⑩出立王子跡 → 
⑪浄恩寺(和佐大八郎と備中屋長左衛門の墓) → 
⑫高山寺(熊楠と植芝家の墓)14:20解散 → 紀伊田辺駅14:40

⑧天神崎
天神崎は、田辺湾の北側に突き出した岬で、ナショナルトラスト運動の先駆けとして有名ですが、特別に貴重、あるいは希少な生物が多いわけではありません。しかし、「よそにもあるからと言って破壊を続ければ、どこにもなくなってしまう」、身近で普通の自然が存在していること自体が貴重とのこと。さすが、神社合祀反対運動を行った熊楠が暮らした土地柄です。


海岸べりをほぼ一周するが、あいにくの雨。
碑には、「落ちる夕日は天神崎の遠く海原夕焼ける」(野口雨情)の歌がある。
いつかゆっくりと夕日を眺めてみたいところ。


⑨植芝盛平誕生の地

掲示板以外には何も残っていない。

⑩出立王子跡(熊野九十九王子68番)

出立王子から大辺路、中辺路の両道に分かれ、中辺路は険しい山路となります。
熊野への新たな出立という意味があるようです。中辺路へは、来年度に挑む予定。


市内には、掲示板が多く、歩きやすい。
ただ古い城下町でもあり、意外と道は複雑(ここを曲がるとすぐに浄恩寺)。

⑪浄恩寺(和佐大八郎と備中屋長左衛門の墓)


和佐大八郎は、江戸時代前期の紀州藩士。
紀州竹林派の弓術家で、1686年、京都三十三間堂の通し矢で総矢数13,053本の内、8,133本を当てて天下一に。
それにしても、放ちに放ったものです。

備中屋長左衛門は、元禄年間に「備長炭」で大金持ちに。
なんだか、紀伊国屋文左衛門も頭に浮かびます。
備長炭は狭義にはウバメガシの炭のみを呼び、煙が出ず雑味が付かないため、鰻屋や焼き鳥屋などで重宝されます。
お米を炊くときに入れると、ビックリするような真っ白なご飯に。
ぜひお試しください。
品質の悪いものは、くれぐれもお避けください。

⑫高山寺(南方熊楠と植芝家の墓)

山門をくぐると高台へと続く石段に。

高台にある江戸時代の多宝塔が美しい。
長沢芦雪の「寒山捨得図」もあるらしい。


南方熊楠と南方家の墓。
熊楠は生前にもよく訪れ、境内から数多くの隠花植物を採集したとのこと。


植芝家の墓と、植芝盛平翁の碑。

池に美しい蓮の花がわずかに2つ。


参道に、なぜかアンモナイトの化石が、しかも、モロッコ産。
近くに貝塚があるとの説明もあるが、今ひとつ、奇妙な取り合わせ。
和歌山県人のお茶目さか、それとも・・・。

14:20 高山寺にて解散

山門の前を流れる秋津川を渡り、さらに踏切を越えて、紀伊田辺駅へ。


パンダの絵のあるバスが駅前を通過。
田辺市の隣にある白浜町には、中国以外では世界最多の飼育数を誇る「アドベンチャーワールド」(7頭)がある。
田辺駅からは、バスで30分ほどの距離だが、電車で白浜駅まで行くのが便利。
関東からは南紀白浜空港を経由して、バスで5分ほど。

田辺駅に戻る(14:40)  今日はこれでおしまい。
田辺からの「阪和道」は、千葉県の「館山道」に匹敵する渋滞高速で、急ぎ車で帰路に。
雨とコロナの影響か、思いのほか流れはスムーズでした。


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イノシシ一口メモ 「イノシシの牙①」

「猪突猛進」の言葉があるように、イノシシは勇ましいイメージがもたれています。そのためか、牙はしばしば誇張されて、なかには前に大きく突き出して描かれたものも見かけます。

しかし、実際、イノシシはこの様な前に尖った牙を持ちません。また、犬歯が大きくなる牙は、年齢を重ねた雄のみで、雌にはありません。ウリ坊や雌の犬歯は唇に隠れて、外からはふつう見ることができません。このため、ウリ坊や母親に描かれる牙を見るのは、とても残念なことです。




また、長く伸びる牙には、歯茎から出たところに黒い線がうすく付きますので、立派な牙のある剥製を見たときには注意して観察してください。実は、写真にある牙は上げ底で、この線が歯茎からずいぶん上にあります。獲物を立派にみせるため、牙を引き出して飾りたくなるのです。個人的な自慢としては微笑ましく思えますが、有名な博物館で同じ様なものを見たときはショックでした。
さて、写真を見て、イノシシの牙が後ろ向きに伸びていることに気づかれた人もおられることでしょう。その話は、次の機会に・・・。

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