「熊野古道(紀伊路)だより」番外編 (前編)2021年09月12日(雨)by いのこさん


いのこさんに早くから原稿をいただいておりましたが、アップするのが遅くなってしまいました。
熊野古道(紀伊路)だより」番外編 (前編)お楽しみください。

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紀伊路の終着点、また中辺路と大辺地への分岐点でもある和歌山県田辺市。熊野古道を愛する方々の会に参加し、南方熊楠と植芝盛平、さらに武蔵坊弁慶の所縁の地とナチュラル・トラストで有名な天神崎を歩いてきました。

ルートの概略
①紀伊田辺駅集合 → ②闘鶏神社 → ③武蔵坊弁慶生誕地 → ④南方熊楠顕彰館 →
⑤植芝盛平記念館 → ⑥田辺城跡の水門 → ⑦潮后離(しおごり)跡 → ⑧天神崎 →
⑨植芝盛平生誕地 → ⑩出立王子跡 → ⑪浄恩寺(和佐大八郎と備中屋長左衛門の墓)→
⑫高山寺(熊楠と植芝家の墓)解散 → 紀伊田辺駅




①紀伊田辺駅(10:00集合)

駅前の駐車場に車を止め、いざ出陣。
小雨だが、雨が強まらないことを願うばかり。
日本三美人の湯で知られる龍神温泉行のバスかも。


駅前のロータリーに、堂々と立つ武蔵坊弁慶の銅像、手にはやはり薙刀。熊野別当の子と言われ、京都五条大橋で義経と出会って以来、最後まで仕えたという。

②闘鶏神社

立派な鳥居。允恭天皇8年(419年)に創建され、平家物語壇ノ浦合戦の鶏合せの故事で有名。


境内にある弁慶と父湛増、そして闘鶏の様子。湛増が鶏を紅白2色に分けて闘わせ、源氏に味方することを決めたという。

③弁慶誕生の地

弁慶生誕地の掲示がある大福院。島根県にも生誕地があるらしい。そう言えば、小野小町のゆかりの地は、弁慶以上に多いようです。実は、前回の山中渓から布施屋に向かう途中で、小野小町の墓への案内があり、寄り道すべきだったか・・・。


駅から市役所への大通りを渡って、路地を熊楠顕彰館へ。


瓦が埋め込まれた綺麗な土塀。
石垣フェチだという某俳優を思い出すが、土塀もまた趣がある。

④南方熊楠顕彰館

木々の向こうに南方熊楠の住居、手前には顕彰館。
顕彰館では、熊楠が遺した蔵書・資料等が保存・公開されています。
高校生以下は無料、一般は350円。
https://www.minakata.org/


熊楠の銅像の横には、例のキャラメル箱。
奥にあるのは、熊楠が手にしていた書籍か。


実に美しいスケッチ!
当然コピーですが。

和歌山市に生まれた熊楠は、渡米後、さらに大英博物館で研究し、帰国後は、田辺市で日本の民俗・伝説・宗教など幅広く研究しました。菌類や粘菌の研究も有名です。研究者がいつかはと夢見る科学雑誌「ネイチャー」、その掲載論文数はなんと51だそうです。

館内にある色々なものをゆっくり眺めていたいが、次の訪問地へと出発。
(紀伊田辺駅から近く、とても価値ある350円です、ぜひ訪問下さい)


植芝盛平記念館へ向かう路地で見かけたシカのオブジェ。
とてもオシャレ。
道端の片隅に存在する綺麗なものの発見は、ウォーキングの楽しみ。

⑤植芝盛平記念館(田辺市立武道館)

令和2年10月開館の真新しい建物に入ると、様々な展示物が。
モニターの下の足元に、足の置き方が示され、それをなぞって構えたり、ポーズを決めたり、しばし、植芝盛平になった気分。

田辺市生れの植芝盛平は、柔術・剣術など各武術の修行成果を、大本教や神道などの研究から得た独自の精神哲学で纏めなおし、「和合」や「万有愛護」などの精神性を大切にする総合武術「合気道(天地の“気”に合する道)」の創始者で。合気道の技では、相手に触れるやいなや一瞬のうちに相手を制するとの話も。

⑥田辺城の水門

城跡の名残。田辺城は、廃藩置県の折に払下げられ、無用の長物とみなされ、城郭が壊されたらしい。
河口近くで「錦水城」と呼ばれた城は、残っていれば、唐津城のごとくか。

⑦潮后離跡

海水でけがれをはらう潮垢離を、風邪のために辞退しようとした藤原定家が、後鳥羽上皇からこの場所で厳しく叱責されたらしい。
山中の聖域に入る折には、厳しい精進潔斎が必要だったとのこと。
わが身の熊野詣の折はどうしよう?
友人Kさんが一緒にいれば、「さあやろう!」の一声か。

小雨を避けて、昼食を地蔵寺の軒下でとって、さらに、雨の中を天神崎へ。
頂いた「こんにゃくゼリー」が美味しい。一人で歩く時とは違う楽しみも。

小降りだが、雨が続く。

(後半につづく)
雨は・・・。

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