電子版 楽しいランニングのススメ(抜粋) 5回連載の第1回



はじめに


2011年、東北大震災の年に刊行された「楽しいランニングのススメ」(山西哲郎 編、創文企画 2011年刊)は、10年以上にわたって読み継がれてきました。

楽走プラスでは、本書をさらに多くの方に読んでいただきたいと願い、執筆者および出版社の許諾をいただいて、山西哲郎氏が執筆された下記の各章を抜粋した電子版として公開いたします。
  1-1 楽しく走るために
  1-2 ソクラテスになって走る
  2-2 人間再生トレーニング
  2-5 アンチ・エイジング・ラン
  あとがき

また、全5章をまとめたダウンロード用ファイルも用意いたしました。

【ダウンロード用ファイル】

ダウンロード用ファイルは、本ブログのサイドバー(スマホなどでは「≡」ボタンから)にある下記アイコンの「楽走の本棚」にあります。

いずれも無償でご利用いただくことができます。

2022年9月1日 楽走プラス・スタッフ一同


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電子版の公開に寄せて 山西哲郎


 子供のころ、田んぼのあぜ道を、友達と走った遊び。その楽しさが老いた今でも、走ると体の中から遊び感覚が湧いてきます。
そのような走る世界を皆様とともに語りましょう。
 この度、楽走プラスの方たちが「楽しいランニングのススメ」を電子公開して新たな語り合いの場をつくってくださいました。

2022年8月26日
山西哲郎

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謝辞ほか


元原稿の著作権は、著作者である山西哲郎氏にあります。

楽走プラスは、本ファイルの作成と配布を快く承諾くださった、著作者山西哲郎氏および出版社(有)創文企画に深く感謝いたします。

なお、書籍版に見出された誤植等について、特に注記した個所を除き、本版では敢えて修正を加えず、原著のままとしています。



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【第1回配信】

1-1 楽しく走るために


山西哲郎

鳥は空を飛び、魚は河や海を泳ぐ、われら大地にたたずむ者はどこまでも走りたし

他に憧れを抱くと、自ずからそれに近づこう、そうなってみたいという希望を持つのが人間の特性と思います。このことは、走ることにもいえることであり、単調と思える走りに、このようなこころが動き伴い、私たちは一つになって走ります。そこに快あり、苦痛あり、軽さも重さもあり、気持ちよさと痛みあり、喜び悲しみあり、そしてそれらすべてが楽しみなのです。

1.走る楽しさとは

 「楽しい」とは、広辞苑によれば「満足で愉快な気分である」と「豊かである」の二つの意味がある。走ることにあてはめれば、前者は走ること自体を楽しむことであり、後者は走りを楽しむいろいろな方法があることです。

 1940年代に、ホイジンガーたちは人間の特性をホモ・ルーデンス、つまり遊び人間と表現しました。それまでは、人間は理性を持つホモサピエンス、道具を使うホモ・ファーベルとされていましたが、遊びを加えなければどうしても本来の人間らしさが出ないというのが、その主張でした。人間は遊ぶときこそ、子どもであろうが大人であろうが、生き生きとエネルギーを余すことなく使い、仕事や日常の活動から離れて時間を忘れて楽しむことができます。その表情こそ、その人らしさが見える瞬間的な輝きがあるのです。

 スポーツ(Sport)の語源は「移す、離れる」から、日常や仕事から離れ気晴らしとしての身体運動の遊びであるとしています。このホモ・ルーデンスの思想に賛同したのでしょう。1950年代からヨーロッパを中心に、一部の人だけではなく誰しもスポーツを楽しもうという「みんなのスポーツ」が広がっていきました。その代表的な種目がジョギング、ランニングであり、外に出て路上の人となって走る時間こそ、自分を取り戻す遊びの時間であることを多くの市民は知ったのです。

 走る人の表情は、孤独に、暗く苦痛に見えがちですが、むしろ、くつろぎ、楽しみ、そして瞑想すら楽しんでいるのです。わが研究室で、2~3km全力で全力走のスピードの40~60%で走っている時の気分の状況を調べたところ、イライラした気持ちは和らぎ、快適な感情は増し、心の状態は改善されることが認められ、また、疲労物質である乳酸を測定したところ、値は減り、心身ともによくなったことがわかりました。これからも、走ることが十分に楽しい遊びの時間であることがわかります。

 問題は、わが国の学校において強制的・管理的に走らされ、走ることに遊び感覚を感じることができないことです。 どんなことでも遊び心が生まれなくては楽しくなれないもの。一方、1960年から70年代に起きた病の対策としての運動処方で、週3日、10分から15分、最大心拍数の60~70%で走ることが数字で示されました。これでは、本来の走る楽しさを見失ってしまいがち。しかし、それに対抗するかのように自ら走る楽しさを身につけ、今日のランニングブームが始まりました。また、1979年に運動生理学者の小野三嗣教授は、「われわれは走る機械ではない。赤い血が流れ、こころが通っている人間である。走りたいように走る自由、喜びを奪わないで欲しい」と数字での走らせ方を専門の立場でありながらすでに批判されていました。

 走ることはまず、感覚を使って走り、美しく感性的走りを求めること。ギリシャ語に語源を持ち感覚器を通じて認識する学問を感性学(美学にも近い)といいますが、現代になって、ドイツのマイネルは運動やスポーツもこの感性学を用いて研究や指導に生かしていました。それは、単に動きを部分的に観察し、数字や計算だけで運動を分析するのではなく、感覚と実践によって動き全体を感性的に見抜くことであるとし、動きに美しさを感じることの大切さを説きました。それは、走る感覚として走ることに心地よさや、美しさを新たに感じることにつながるのです。

 外を走る。前の広がりを視覚は自然や人工物を形や色で風景を造っていく。耳にあたる風のハーモニー、葉や鳥の奏でる音色、肌を包む風、足の筋肉や腱に弾む土や芝生、舗装と、一歩一歩で、走る感覚は楽しさや美しさを多種多様に変えていきます。

2.多様に豊かに走る楽しさ

「ゆっくり走ると見えないものが見えてきますね」と、ランニング教室でゆっくり走った人の言葉です。それまでは精一杯に速いスピードで走っていたので、周りの景色もよく見ることもできなかったのだろうし、速い感覚で見えなかった違った自分に気づいたのです。

 今日、これほどたくさんの人たちが走り始め、いつまでも走り続けているのは走るスピードを落とし、スピード感覚が豊かになり、走りを楽しませてくれるからです。ゆっくり走れば、走る時間も距離も延び、それだけ自分も周りも変わり、痛みや苦しさもあろうが、楽しみも大きい。近年、参加者が増え、大会数の増加するウルトラマラソンはその現れの一つです。

 以前は、学校の体育やマラソン大会で生徒たちが走る以外は、専門的に長距離を競争する青少年だけといってもよかったのです。しかし、老若男女を問わず走る今日、その走り方はさまざま。そして、一人のランナーが走る方法も幾種類もあり、それだけ楽しみ方も大きく広くなってきます。

 毎日、同じ時刻に、同じコースを、同じスピードで走っていては走る感覚は衰え、乏しいものになってしまいます。

 多種多様なランニングをつくるには、ランニング財と言うべき材料があるのです。

●スピード
 前に述べたように、スピードを変えるだけで身体感覚は変化し、快感も苦しさも異なり、走ろうとする距離も増減する。たとえば、レースの距離が延びれば、それを走りきることができるようにスピードをコントロールしなくては満足に走れません。 LSD はスピードを落とし距離の軸をより長く、インターバル走は距離を分割してのスピード軸を増していく。北欧に始まったファルトレークは英語のspeed-playの字のごとく、いろいろなスピードを楽しむ方法で、起伏に富んだ自然地形で行われています。

●地形
長距離走は水平線を見ながら平地を旅人のように走ることであり、あまり激しい起伏であっては長く走り続けるには適していません。ロサンゼルスからニューヨークまでの約5000 km の道を走り続けるアメリカ大陸横断は、走り続ける楽しさの極限です。 一方、垂直方向の山に向かっての走りは苦しさも伴うが、それだけ達成感も大きく、富士登山マラソンも急激な登りに脚の痛みと酸欠に耐えながらも走る魅力があるのです。

 また、箱根駅伝も箱根の上り下りの地形の変化に富んだコースがあるから見る人にも人気があるのです。海辺や砂丘、原野を走り森や林を抜け、川をわたり、次々に変わる地形を走るクロスカントリーにも楽しさがあります。

●時刻や季節
自然を新鮮に楽しんで走るのは朝であり、春である。眠いからだの目覚めと自然の夜明けのハーモニーがよいのです。しかし時には、満天の星と月で月光のランナーとなって走れば、暗さによって視覚、聴覚、触覚などの感覚の受け方が変わり新しさを感じます。夏の炎天下と冬の雪の中では走りも、服装も対照的に変える楽しさもあるのです。

●人
「どうしようもない私は歩いている 」(山頭火)
 どうしようもない自分だと思っていても、走っているうちにもう一人の自分と語る喜びが湧いてきます。仲間と一緒に走る対話ラン。クラブは走友の群れ。大会はそれが急増し、戦いは自分であっても、ともにゴールへと競う人びとは友情にあふれた仲間になっていくのです。

●路面とシューズ
 砂に始まり、土、苔、草、芝生、木、チップ、砂利、舗装…と足の裏から感じる大地の違い。 素足で走れればさらに快適。 シューズもいくつか持っていれば、路面に応じて、シューズを代えて走る楽しさが生まれてきます。

●プラスワン
 マラニックとはマラソンとピクニックを合わせた方法で、ゆっくり長時間にわたって歩きも入れながら走りを楽しむことです。 ナップサックに着替えや軽食を入れればまさに旅を感じるランニングになっていく。芭蕉の感覚で走りながら俳句を詠む、ウォークマンにベートーベンの田園を入れてのミュージックラン、作家となって走りながらストーリーを作っていくのも走りながらもう一つのことを楽しむことができるのです。

3.作る楽しさ・する楽しさ

 このように多種多様な走りを組み合わせれば、単調になりがちな走る世界が豊かになってきます。 まるで、多種のランニング財を組み合わせて「走る家」を作るような楽しさ。その原点は、走るそのことを楽しく感じられる"からだ"と”こころ”をもつことです。

 けれども、走ることには苦痛が伴う。セラーティが「走る苦痛を愛せよ」といわれても、苦痛から逃げ出したくなり、やめてしまいたくなるもの。しかし、その苦痛や疲労にもかかわらず走り続けられるのは、新しい走る力を生み出すものが走りの中に潜んでいるからであり、そして、走りは自由で喜びを感じる遊びの要素があるからです。とにかく、走る一歩、一歩に生きた楽しさがあるのです。





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