電子版 楽しいランニングのススメ(抜粋) 5回連載の第5回





2011年、東北大震災の年に刊行された「楽しいランニングのススメ」(山西哲郎 編、創文企画 2011年刊)は、10年以上にわたって読み継がれてきました。

楽走プラスでは、本書をさらに多くの方に読んでいただきたいと願い、執筆者および出版社の許諾をいただいて、山西哲郎氏が執筆された下記の各章を抜粋した電子版として公開いたします。
  1-1 楽しく走るために
  1-2 ソクラテスになって走る
  2-2 人間再生トレーニング
  2-5 アンチ・エイジング・ラン
  あとがき

また、全5章をまとめたダウンロード用ファイルも用意いたしました。

【ダウンロード用ファイル】
ダウンロード用ファイルは、本ブログのサイドバー(スマホなどでは「≡」ボタンから)にある下記アイコンの「楽走の本棚」にあります。

いずれも無償でご利用いただくことができます。

2022年9月1日 楽走プラス・スタッフ一同

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【第5回配信】

あとがき


一生楽走、一生青春

これは、私が一番好きであり、目標にしている言葉です。「なぜは走っているのですか」と問われれば、「楽しいからです」と答え、「走る目標は何ですか」と聞かれれば、「この世を去るまで楽しく走りたいのです」と、そして、この世で一番楽しいことは走ることですと、言いたいくらいです。しかし、今や、私のように楽しく走る人は多く、別に、驚くことも、「変わった人」とも思われない時代になっています。

 1960年代の後半から70年にかけて、それまでアスリートのランナーしかいなかったランニングの世界に中高年の走者が路上で走り始めました。 彼らは年を取ってゆっくり走るしかできないが、表情は豊かで明るく、「走ると楽しいのだよ」と言葉を交わし合う。そして、ある高齢の方と一緒に走った時、「見えないものが見えてくるよ」と哲学的な言葉を聞き、当時箱根駅伝の指導していた私には走る楽しさの広がりを覚えました。

 73年に、中高年ランナーと「ホルプマラソン学級」と称してランニング教室を東京の代々木公園を会場にして始めました。 月一度の集まりでしたが、 北海道から九州まで全国各地から駆けつけ、「楽しく走ろう」をモットーにして年も仕事も忘れ、心と体を解放して一緒に走っていました。 そして、なぜ走るのか、いかに走るかを皆で語り合い、 それをまとめて私が出版したのが『走れ』(成美堂出版)でした。 その私の初めての本がベストセラーになるほど売れたのは(?)、やはり、「なぜ走ることが楽しいのだ」という疑問と「走ること楽しい」という共感から生じた現象でした。

 その最初のページに尊敬する当時世界的な指導者のパーシー・セラティが著作『チャンピオンへの道』のなかで述べた次のような言葉を引用しました。

  「ランニングは大人の遊びである。 スケジュールに縛られた退屈な単調な課業になったとき、我々は自然から遠ざかり、楽しさを失ってしまうのである」

 私がこの本に触れたのは、学生時代で箱根を目指していた時でした。日々、自己の記録の更新と他との競争で走っていたために、苦しさや厳しさが先行をしてしまい、それを成し遂げたときでなければ、嬉しさと楽しさを感じられませんでした。でも、セラティの言葉を知ってから、楽しさを結果ではなく走っている時に感じられるようになってきました。 やがて、単調にぐるぐる回るトラックを離れ、道路や野山を走りマラソンを目指し始めました。そして、中高年や女性、障がい者という今までランニングに縁が薄かった人とともに体で感じた楽しい感覚を共有できるようになりました。

 以上、長々と私の走る楽しさの創造を述べてきましたが、走らされるのではなく恣意的に走る人ならば誰しも楽しさを感じ、いろいろな楽しさを創っていけると言いたかったのです。 たとえ、マラソンの30 km 以後ゴールを目指しているとき、疲れと痛みに耐えながら「もう二度と走るものか」と決めつけても、終わってみれば苦しみはどこかに消え去り、走り遂げた充実感が新たな楽しみを創っていくから不思議です。

 この不思議さを語り合える走る雑誌にしようと仲間と出版したのが、『ランニングの世界』です。編集をする私たちの職業はジャーナリスト、ライター、サラリーマン、大学教員、看護師、トレーナーと多種多様ですが、この雑誌は「楽しく走ること」を共通の目標にして、体や心や脳、そして、走り方、大会などいろいろな角度から語ってみました。

 このあとがきを書いているとき、東北関東大地震が起き、幾千人を超える生命と町が失われてしまいました。被災地の人々には生活もなく、とても走る楽しさを味わうこともできません。しかし、走ることは我らの生活生存を支えることであり、生活をエンジョイする走る文化です。となれば、悲惨の大地を走る一歩一歩の足跡から生活が甦って、ランニングを楽しめることができる人や町が再生されると思います。それは誰しも歌を歌い、絵を描いてみたくなるように、楽しく走りたくなる感覚が自分の中に潜んでいるからです。

 さて、読者の皆様の楽しい走る世界はいかがでしょうか。この本を通して語り合ってみたいものです。

2011年3月
執筆代表 山西哲郎



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