連載 私はこう読む 「楽しいランニングのススメ」 第9回

「楽しいランニングのススメ」 山西哲郎ほか著 創文企画 2011年

 無償の電子版(山西氏執筆による章限定)をご利用ください。

 楽走プラス 楽走の本棚 電子版「楽しいランニングのススメ」

 

 過去分はこちら:

 第1部 楽しく走る

  第1章 楽しく走るために

   第1回 第2回 第3回 第4回 第5回

  第2章 ソクラテスになって走る

   第6回 第7回

   テキスト中の人物や本の紹介

    第8回 ジョージ・シーハン


[この連載は、個人の解釈です。著者山西先生の確認を経た解説記事ではありません。]


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 今回は、第2章「ソクラテスになって走る」(第6回、第7回)のテキストに引用された人物や書籍の中から、著者山西氏が「人間が走るとは、何かを考えさせられる」(第6回)と評した2冊です。


長距離走者の孤独 アラン・シリトー 河野一郎訳 新潮文庫(1973)




The First Four Minutes ロジャー・バニスター (1955) Amazon kindle用電子書籍




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長距離走者の孤独


 長距離走者の孤独は、1928年イングランドの貧しい労働者の家庭に生まれた作者シリトーが、経済的に貧しいがゆえに直面せざるを得なかった社会の矛盾に対する反抗の叫びを描いた短編です。盗みを働いて捕まり感化院に送られた非行少年「おれ」(スミス)は、感化院院長の命令でクロスカントリー選手として連日一人で感化院周辺の野や森を走る練習をさせられます。院長の思惑は大会で優勝させて自分たちが名声を得ることにあり、言うことにおとなしく従う「誠実」な態度をとってレースに勝てば名誉が与えられると甘言を弄して主人公を出場させます。レースで圧倒的な走力を見せた「おれ」でしたが、ゴール直前で立ち止まり、わざと勝ちを捨てて院長たちの欺瞞に対する反骨心を示します。


 短編の冒頭近くで描かれる独り感化院を出て森の中を走る主人公の姿が鮮烈です。束縛の多い感化院生活の中で独りで走ることができたこの特権的機会は、主人公にとって自由を得ることのできる貴重な時間であり、自分の考えを巡らせることができました。


 独り走りながら「おれ」は、「走っているあいだはとてもよく考え事ができて、夜ベッドに横になってからよりずっといろいろ学べる」から「感化院も住みにくくなくなってくる。」と感じ、「まだ鳥たちも囀りだす勇気が出ない早朝の霜をおいた草の中へぴょんと飛び出るや否や、おれは考え始める。そしてそれが楽しいのだ。おれは夢見心地で走路をまわり、曲がっていることも知らずに小径や細道の角を曲がり、川があることも知らずに小川を飛び越え、姿も見えない早起きの乳しぼりにおはようと呼びかける。」


 感化院のクロスカントリー選手としての練習という特殊な状況であったとは言え、このときの「おれ」にとって孤独な自由を感じながら走ったこのときの経験は、その本質において「楽しいランニング」と呼んで差し支えないものであったように思われます。


 そして、大会のレースで他を引き離して森林を独走していたとき、「おれにもクロスカントリー長距離走者の孤独がどんなものかがわかってきた。」と独りごちます。レースを走りながら、「この孤独感こそ世の中で唯一の誠実さであり現実であり、けっして変わることがないという実感」を覚えるのです。誰にも依存しない、院長など他者からの強制を排して自分の意志で走ること。それが貧困の中で誰にも助けられずに生きてきた「おれ」にとっての「孤独」であり、自分の自由意志を貫くことであったと私は思います。


 「たかがこんな競走なんてお笑いに、おれが縛られてたまるもんか、、、奴らが何と言おうと、そんな人生ってあるものか。おまえはほかの奴のことなんか考えず、おまえ自身の道を行くべきなんだ。」 院長らへの反抗心・反骨心から、「おれ」の思いはこのレースにとどまらず、大きく羽ばたきます。


 自分の意志でゴール直前で勝ちを放棄し、院長の「誠実」に背を向けた「おれ」は、レースを終えてなお、こう訴えるのです。「だがおれがもう走ってないと思わないでくれ、どのみちおれはしじゅう走っているんだ。」 彼が自分の意志で誠実に走っていくのは、レースだけでなく、それからの彼の人生そのものでした。



**「長距離走者の孤独」は、ランニングの世界23号(2018)に「走る作品のススメ」として福田由実氏による紹介記事があります。あわせてご覧いただきたいと思います。


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The First Four Minutes


 The First Four Minutesは、後に医学者としても重鎮となったロジャー・バニスター(Sir Roger Bannister)が、世界で初めて1マイル4分の壁を破るに至った挑戦の日々を振り返って、その記録を出したまさにその年のうちに書き上げた本です(出版は翌年)。オックスフォード大学の医学生として勉学に注力する傍ら、一人の競技者としてトラック走に打ち込む真剣で苦悩に溢れた日々が語られるとともに、まるで詩人であるかのような彼の繊細な感受性を知ることのできる自伝です。


 世界記録を狙うアスリートの文章とあってさぞ日々の厳しい練習などで埋め尽くされた本かと思いきや、序章は次のような詩的な文章で始まっています。


 What are the moments that stand out clearly when we look back on childhood and youth? I remember a moment when I stood barefoot on firm dry sand by the sea. The air had a special quality as if it had a life of its own. The sound of breakers on the shore shut out all others. I looked up at the clouds, like great white-sailed galleons, chasing proudly inland. I looked down at the regular ripples on the sand, and could not absorb so much beauty.


 [要旨 海辺の砂に裸足で立っていると、空気はまるで命を宿しているかのようで、打ち寄せる波の音だけが聞こえてきた思い出があります。空を見上げるとガレオン船の白帆のような雲が陸地へと流れ、足元には砂の波紋がきれいに並んでいました。その圧倒的な美しさを私は受け止めきれませんでした。]


 そして、そうした経験が走る喜びにつながったと語っています。


 I was running now, and a fresh rhythm entered my body. No longer conscious of my movement I discovered a new unity with nature. I had found a new source of power and beauty, a source I never dreamt existed.

 

 [要旨 今では走り出すと自分の体に新しいリズムが生まれるのを感じます。身体がどう動いているかというよりも、自然と一体となった私がいるのです。それまでは夢にも思わなかった力と美しさが湧き出してくるのに気づきました。]


 バニスターもまた、走ることで心と身体の一体感を覚え、そのことに自由の喜びを見出していました。世界記録を目指していたアスリートにして、彼はこうした感覚をも持ち合わせていました。


 それでは、1マイル4分の壁に挑み続けた競技者としての思いは、こうした詩的な感覚とどのように関係していたのでしょうか。


 What is it like to have the excitement of competitive struggle grafted on the natural freedom found in movement – to champion the cause of club or country and to have their honour, as well as your own, at stake?  What difference does it make when the sound of breakers on the shore is replaced by the roar of a crowd of 50,000 spectators in a stadium, crying out for more and more effort and identifying themselves with each runner’s success or failure?


[要旨 こうした自由な走りを感じているところに、競争の意味合いを持ち込み、自身の名誉だけでなくクラブや国の名誉を賭けて走るというのはどうしたものでしょうか。波打ち際のさざめきに代わってスタジアムを埋めた5万人の観衆の絶叫の中で走ることにはどのような違いがあるでしょうか。]


 バニスターはこのように自問したうえで、自身の才能に気づいたランニングは、自らを表現する一番の方法だったと、次のように書いています。


 I had expressed something of my attitude to life in the only way it could be expressed, and it was this that gave me the thrill. It was intensity of living, joy in struggle, freedom in toil, satisfaction at the mental and physical cost.


 [要旨 人生に対する私の姿勢を、私は、私にできる唯一の方法、つまり走ることで表現していたのです。それは、生きてゆく厳しさ、奮闘努力する喜び、苦しさの中にある自由さ、こうしたことがらに精神的・肉体的に犠牲を払ってでも満足することのできる、とてもどきどきする経験でした。]


 前回ご紹介したジョージ・シーハンと同様に、走るスタイルこそ違いましたが、バニスターもまた、走ることで自分を表現する意義と価値を見出していたのだと思います。


 そして、1954年、オックスフォード大学で行われた競技会で、1マイルを3分59.4秒で走り、世界で初めて4分の壁を破ります。渾身の力を出してゴールテープに倒れ込んだそのときの興奮を次のように記しました。


 The stopwatches held the answer. The announcement came – ‘Result of one mile . . . time, 3 minutes’ – the rest lost in the roar of excitement. I grabbed Brasher and Chataway, and together we scampered round the track in a burst of spontaneous joy. We had done it – the three of us!


 [要旨 結果はストップウォッチに刻まれています。場内アナウンスの声が聞こえました。「1マイル走の結果をお知らせします。タイムは、3分、、」 その後は場内の大歓声でかき消されました。ついにやりきったのです。]



**ロジャー・バニスター氏と山西哲郎氏の対談が、ランニングの世界第8号(2009)に掲載されています。

**ロジャー・バニスター氏が88歳で亡くなった直後の2018年3月に開催された第30回ランニング学会大会において、山西哲郎氏による追悼講演が行われました。







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