連載 私はこう読む 「楽しいランニングのススメ」 第12回


[2-5アンチ・エイジング・ラン]


「楽しいランニングのススメ」 山西哲郎ほか著 創文企画 2011年

 無償の電子版(山西氏執筆による章限定)をご利用ください。

 楽走プラス 楽走の本棚 電子版「楽しいランニングのススメ」


 過去分はこちら:

 第1部 楽しく走る

  第1章 楽しく走るために

   第1回 第2回 第3回 第4回 第5回

  第2章 ソクラテスになって走る

   第6回 第7回

   テキスト中の人物や本の紹介

    第8回 ジョージ・シーハン

    第9回 長距離走者の孤独(アラン・シリトー)、

        The First Four Minutes(ロジャー・バニスター)

 第2部 いかに走るか

  第2章 人間再生トレーニング

    第10回 第11回


[この連載は、個人の解釈です。著者山西先生の確認を経た解説記事ではありません。]


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今回のテキストは第5章全部ですので、長いため末尾に掲載しました。


参考図書 ランニングの世界 第28号 2022年4月刊

特集 もう一度、走り出すために

山西哲郎氏による「再生ランニング」の稿が含まれており、アンチ・エイジング・ランとも関連しています。

アマゾンや創文企画から購入できます。

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 アンチ・エイジング・ランという言葉からただちに思い起こされるのは、ランニングによって若さと健康を保つといったところでしょうか。そうした効用を謳ったランニングのハウツー本は世の中に数多くありますが、著者山西氏がここで述べていることは必ずしもそうした趣旨ではありません。この本のテーマ「楽しいランニング」とアンチ・エイジングはどうつながるのでしょうか。

 テキストの冒頭には、「ランニングのおかげで、私は年齢との闘いをしないですんだ。走っていると私は、老けこむ必要のないことを悟る」というジョージ・シーハンの言葉が置かれています。シーハンの著書にある次の言葉から採られたものかと思われます。

 My fight is not with age. Running has won that battle for me. Running is my fountain of youth, my elixir of life. It will keep me young forever. When I run, I know there is no need to grow old. I know that my running, my play, will conquer time. [Running & Being: The Total Experience, George Sheehan]

 山西氏は、梅原猛による日本人の自然観を紹介して、再生再死の観念に言及した上で、「春になれば枯れた草木のつぼみから花や葉が甦ってくる姿を見て、自分のなかにも再生を見出した人びとが再び走り始めると思うのです。」と述べています。走ることによって、人々の心のなかに日々新たな生命の活力が芽生えるという主張かと思います。

 冒頭に紹介されたシーハンも、実は、この点に関して驚くほど山西氏に近い考えを持っていました。先の引用と同じ著書の中で、次のように述べています。

 Every mile I run is my first. Every hour on the roads a new beginning. Every day I put on my running clothes, I am born again. Seeing things as if for the first time, seeing the familiar as unfamiliar, the common as uncommon.

[要旨 走るたびにすべてが新しい。毎日ランニングウェアに着替えるたび、私は新たに生まれ変わる。あらゆるものも慣れ親しんだこともあたかも初めてのように見え、日常は非日常となるのだ。]

 日本的自然観とは縁遠かったであろうシーハンがこのような観念を持っていたことには驚きもありますが、走るという行為が人間の生命観に与える影響には広く民族や生活環境の違いを越えて共通するところがあるのかもしれません。

 テキストには、加齢や病気で落ち込んだ人が、一念発起して走り始めたことで身体が元気になった話が紹介されています。そこには、身体面の効果だけでなく、走りながら眺める樹木が「生気に満ち」ていることへの気付きがあり、癌に立ち向かい再び元気を得ようとする心の面の効果をも得ることができたことが述べられています。著者はさらに話を進め、現代人の体力低下に対して歩きから始めて走につなげることの効果を述べて、「走の意義」が「(走によって)心身の衰退から復活させることにあることを指摘します。他にも、著者山西氏が身体・肉体だけのことを言いたいのではないことを示す次のような言葉が散りばめられていることに気づきます。

・心身の衰退(から)の復活が走の意義である (2.走は蘇る の末尾)

・走ることが好きになり、ヒトとして再生する (3.ウォーク、ジョッグ、ラン の末尾)

・(加齢により)進化する心と思考、走る世界が豊かになる (4.アンチ・エイジング の冒頭)

・人間の自然性を蘇らせる (同 第3段落)

 これらの言葉に集約されているのは、「心」であり「人間」です。それは、身体・肉体だけが元気になるというのではなく、精神性を伴う心身両面の復活であり、人間全体としての蘇りです。身体に加えて心が大切であるからこそ、「楽しいランニング」とアンチ・エイジングが密接に関わってきます。

 さらに、その蘇りは、単に若さを取り戻すなど元の状態に戻る意味には限定されません。人類が走ることによって進化してきたように(2.走りは甦る 末尾)、より高い次元の走りの実現として結実するものです。だからこそ、走ることに対する姿勢を「歩行、走行」、「走禅」(5.走行)といった「行」や「禅」として追求するほどの価値があると著者は言っているのだと思います。

 追求することで、蘇りは「再生・再死」のサイクルにつながっていきます。加齢という不可逆で一方通行のプロセスではなく、「昨日も明日もない。だからこの瞬間を新たにして生きる。」(本章末尾)です。アンチ・エイジングなど何らかの効用を期待して走るのではなく、走るその瞬間こそが新たな命を生きることであり、それがアンチ・エイジング・ランなのだ。ここにこそ著者の本旨があるものと私は受け取りました。まさに、第1章から一貫して主張されてきた「楽しいランニング」です。

 そして、このことが、次回最終回の「あとがき」で示される「一生楽走」の観念につながっていくこととなるのです。


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今回のテキスト:


2-5 アンチ・エイジング・ラン


山西哲郎


ランニングのおかげで、私は年齢との闘いをしないですんだ。走っていると私は、老けこむ必要のないことを悟る ― (ジョージ・シーハン)


 今朝も、睡眠時間が少ないと気にしながらも、寝てはいられないと朝焼けの大地を走り始めます。

 路上の人となって、新しい風に触れ、ゆっくりと大地の弾みを感じながら東に向かって走ると、やがて赤く染まった地平線から、太陽という神が顔を出し、まぶしくて目に焼きつくほど。 まさに、この世で神という最高の権威に出会った瞬間に思えてきます。それが僕にとって毎朝の走りながらの洗礼であり、今日という日の再生の時間なのです。


1.再生再死


 以前、哲学者の梅原猛さんから、日本人の自然観について聞いたことがありました。 日本には、はっきりとした春夏秋冬があるが、そこで生きてきた人びとは冬からは死を、春には生を自然から感じる。そして、朝日からは「新しい日がやってきた」と生を、夕日を見ながら「今日は終わった」と死を思うという。 しかし、それはただ一回の生死ではなく、季節も太陽も生と死を繰り返しながら循環し巡ってくる。 そして、生き物のひとつである人間も同じであり、一度の生でも死でもなく再生再死を迎えられるという自然観をわれわれはもつことができると梅原さんは述べました。

 この梅原さんの話から、春になれば枯れた草木のつぼみから花や葉が甦ってくる姿を見て、自分のなかにも再生を見出した人びとが再び走り始めると思うのです。

 「退職後つぎつぎに病気にかかるゆううつな毎日。 早朝マラソンが健康の良薬と聞き、町内の笑いものになって走る。生気に満ちた樹木の緑をながめ、日の出を拝しているうちに身体は前より快調になる」(『ランニング体験集』、成美堂出版)と石丸家徳さんは語ります。

 53歳で「退職勧告を受け人生の凋落を感じ、そのショックでポックリ逝ってしまっては」と、退職した翌朝から走り走り始めた斉藤太郎さん。4年目には10 km 大会に出場するほどのたくましいランナー になれたが、胃癌を宣告され胃の3分の2を切り取る。しかし、再び元気に走ろうと10日目から再開。4ヶ月後には自分のペースで走れることができたという再生のストーリーもこのなかにはあるのです。


2.走りは甦る


 対馬勝三郎さんは70歳で「脚力が衰えたのではないか」と思い、「1年目は歩く、2年目は歩が主体で走を少しやり、3年目は走を主体にし、4年目は定めたコースを走りぬく」と計画を立て実行する。このように当時の人たちは、走ることに目標をおき「人生50年を人生印年から」に置き換え走り出したのです。

 しかし、21世紀に入った今日は、ウォーキングブームといわれるほど、誰も彼も運動は歩くことです。つまり、30年前の状況は運動不足による成人病が世界的に危惧され、その対策としての運動は全力持久走の60~80パーセントの負荷での走りが中心であったのに対して、今日では、その後さらに体力低下は進んだために、40~50パーセントへと負荷を落とした歩きでなくてはならなくなってしまったのです。僕自身の健康つくりの指導も、30年前の一般市民に対して歩くより走ることでもスムーズにできたものが、最近は、なかなか走ることができず、まず歩くことから始めなくては運動ができないほどになってきています。

 むろん、欧米でも現代の文明病からの復活は走で始まったが、それから30、40年経ってもやはり走ることが中心。だから、世界を旅してみれば、「パリの街をたくさんの人が走っていました」といわれるほど、今でも、風景の中に歩者より走者の方が多いのが我が国と違うところである。

 科学雑誌『ネイチャー』で取り上げられた「人類は走って進化した」という説に従えば、やはり歩より走によって再生を図るべきということになってくるのです。農学者の久保田競氏は「時速3km[注]で歩くよりは、9km でゆっくり走る方が脳は広範囲に活性化し、考える、創ることを司る前頭葉にも刺激を与える」という説はますます走の意義を明らかにしています。走によって人類は進化したということになれば、人類の 心身の衰退の復活は走によって甦らすことであるといっていいでしょう。それは、人類と同様に自分自身にとっても内なる力の回復も十分に期待できるのです。 


3.ウォーク、ジョッグ、ラン


 明治から大正にかけて愛知一中の校長であった日比野寛氏は「病める者は医者に行け。弱き者は歩け。健康なる者は走れ。強壮なる者は競走せよ」と説きながら、生徒をはじめ多くの人たちに走ることを勧めた。日比野氏のころは今日のような体力の著しい低下はなかったとしても、文明化されていく時代のなかで将来を見抜き、走ることの意義を伝えていったのです。

 さて、日比野氏の言葉はまさに、「はう、立つ、歩く、走る」という発育にそって子どもが獲得していくヒトの原初的な動きの発達を示しています。これは前述した対馬さんの1年目は歩き、2.年目は歩と走と…段落をあげていく走力復活プログラムにつながってきます。

 1960年代にニュージーランドでランニングをする多くの中年に接し感動したウィリアム・ボアマンがジョギングを紹介し、アメリカにブームを起こすきっかけとなりました。 このジョギングとは走と歩を組み合わせ、まず、「ジョッグ」(ゆっくり走)50m+歩行50m を4回繰り返す」に始まり、次第に距離を延ばしていくプログラムです。

 私は、これらの方法を参考にして、ウォーク(歩)からジョギング(歩と走)、そしてラン(走)へと展開したプログラムで指導しています。走れないということは単に走るためのエンジンである心肺機能や脚力の低下と、そして走り方という技の衰退でもあると、昔と変わらない生活をするアフリカ人の実に自然に美しく走る姿を見て気づくことができます。

 そこで、第1のステップは日常の歩きを増やすこと。 第2は、「腕を前後に大きく振る。歩幅を広げ」速歩を身につける。 次のステップはこれと同じスピードでゆっくり走ること。速歩より生理的に強度は低く、心理的にも楽に感じて走ることのイメージが変わり楽しくなってきます。このリラックスできた自然な走りから走ることが好きになり、走る感覚を甦らせてヒトとして再生していくことができるのです。


4.アンチ・エイジング


 すべての生き物が誕生から死に至るまで加齢(エイジング)を重ねます。 その過程には心身が発展する時期と維持、そして低下する時期があるのです。中高年は加齢をさらに重ねながら身体機能は衰えつつも、まだ進化する心と思考、そして、長い間の体験で走る世界を豊かにしていくことができます。その走りにはまるで加齢、つまりエイジングとの戦いをする勇者のように思えてきます。走る哲学者と言われた心臓医のジョージ・シーハンはマルクス・アウレリウスの「毎日を、今日を最後だと思って生き抜くところに完成がある」という言葉にそって、「ランニングが自分の一日と自分の人生を築いてきた」と走り続けました。 

 しかし、身体の機能が加齢によって衰えたといえども、筋力、持久力などによってはその下降は異なってきます。砲丸投げの世界記録を100%とすれば60歳では50%になるのですが、マラソンは60歳でも75%に近いのです。そして、ランナーは40代では記録を維持し、50代、60代でも記録を向上させることもあるので、思考や知能、知恵、創造力、といった精神力や心理的機能によって加齢と反比例しながら高い次元の走りを創り上げることができるのです。

 1970年代の中高年のランニングブームになる以前に40歳を過ぎてから本格的にランニングを再開し、ついには世界名コーチになったのが、オーストラリアのパーシィ・セラティとニュージーランドのアーサー・リディアードです。

 2人とも多種多様なトレーニングを自らのからだで吟味しながら、ランニングの思想と方法を創りあげました。そして、セラティは人間の自然性を甦らせ、自分のなかにある力を引き出すために砂丘での野性的なランニング技術を完成させ、一方、リディアードは丘という自然の地形と道路やトラックの走路から、 LSD やヒルトレーニング、インターバルトレーニング…といったいろいろな方法を組み合わせた方式を作成したのです。その成果は、いずれも世界的なランナーを次々に世に出していったことです。

 若きものは能力の極限に近づくが、加齢を重ねたものは体験によって知恵と思想を生み出し、後からやってくる人に指針を与える力を持つのであると、一生走り続けた2人から教えられます。


5.走行


 10代で走り始め、早60代。走りは日々変わり、その変化を10年という節目で見ればさらに大きな変化を知ることができます。

 1950年代やっと生活が安定したものの、私たちは学校と家の手伝いで過ごすことがほとんどで、空いた時間は子どもたちだけで家を出て田園で遊ぶことが多かったのです。私が「走ろう」と意識を持って走り出したのは中学2年のことでした。誰からも「走れ」といわれることもなく、30分足らず薄暗くなった田んぼの畦道を走り始めました。それは今思えば自分の時間を1人で過ごせる貴重な時間でもあり、自分の体と周りの風景を観察できるひと時で、まるで小さな旅でした。

 この走る習慣は今でもほとんど変わらず、60を過ぎて加齢を気にしなければならなくなっても、走る気持ちは中学の時とあまり変わっていません。そして、人生を全うするまで走れたとしても、この走る精神は変わらない気がします。だから、中年になって走りが甦ってきた中高年の人も、きっと、中学のころの精神が芽生えるときに戻って再び走り始めると思うのですが。それこそ、人生を生きるために遺伝的に伝えられた走行であったのだと。

 今井尚英さんは、浄土真宗仏門に育ち、 学びながら会社の仕事をする傍ら走り続けていました。それを「自分の足による坐る、歩く走る行動が自分の生涯を支える大きな力となった」(『「歩行・走行のすすめ』、文芸社)と、語っています。「一生持ち続ける目的は、人それぞれ自分に適したものを自由に選べようが、重要なことは、外部の人や物事に結びついたことではなく、自分自身から湧き出たものであるべきことである」との思想をもとに、それを貫くために歩き、そして走る道を選んだのです

 彼は、散歩は歩行、走行として修行や瞑想禅になるという。それは体を積極的に自由に動かしながら観念を遊ばせることが禅の境地に入れ、座禅で求道をするよりは歩く走りの中に、新しい禅を見出すことができると説き、だからそれは走禅になるというのです

 1975年の春、私がボストンマラソンに出場した時、ボストンの街で『Zen of running』という本に出会った。最初は何の意味だか、内容なのか理解ができなかったものの草原や海辺を短パンひとつで自然に走るランナーの写真を見て題名は走禅だと知りました。

 しかし、それを私の体で知ったのは40歳を過ぎ、故郷の砂丘の波打ち際を短パンと素足で走っていた時です。目は青い空と海を、耳は繰り返す波の音にハーモニー、肌は新鮮な風を感じているうちに涙が生じ、やがて私をつつむ周りの自然の色が白黒に変わり、その瞬間はすべてが幸せに見えたときでもありました。それはランナーズハイともいえるが、今井さんの言葉を借りれば走禅のほうがふさわしく感じる。


6.命果てるまで走りたし


 作家の灰谷健次郎さんは50歳で肉体を鍛える面白さにとりつかれ、やがて走りはじめました。しかし、いやいや走っているうちに私たちに誘われ、ホノルルマラソンを走ったのです。20 km を過ぎてから、走る気持ちはあってもからだは動かず、 それを肉体の猛烈な反抗だと気づき、そして、マラソンは心身の調和の上で初めて成立すると悟ったのです。

 それからは「僕は走ってから人生は変わったよ」と言いながら、すっかりランナーになりきっていました。 沖縄の渡嘉敷島に帰ったときは、まず、素もぐりをして魚を取ってから、浜辺でランニングするのが日課。まさに60を過ぎたとは思えないほどのたくましい中年の再生ランナーでした。しかし、どんなにたくましい灰谷さんでも苦しめるものが最後に出てきました。6年前に食道がんになりすぐに手術。でも、回復とともに、再び歩き走る。それはまさにもう一度ランナーに戻り再生しようと懸命に闘う人でした。だが、4年前の11月に三途の川を走って逝ってしまわれました。

 加齢を重ねながら走る。昨日も明日もない。だからこの瞬間を新たにして生きる。多くの生命とつながる感覚を持ち続けながら走っていきなさいと、灰谷さんの声が心に伝わってきます。



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