連載 私はこう読む 「楽しいランニングのススメ」 第10回 人間再生トレーニング

第2部 いかに走るか 第2章 人間再生トレーニング


「楽しいランニングのススメ」 山西哲郎ほか著 創文企画 2011年

 無償の電子版(山西氏執筆による章限定)をご利用ください。

 楽走プラス 楽走の本棚 電子版「楽しいランニングのススメ」

 

**テキスト中の人物や本の紹介は一旦中断して、別途掲載予定です。**


 過去分はこちら:

 第1部 楽しく走る

  第1章 楽しく走るために

   第1回 第2回 第3回 第4回 第5回

  第2章 ソクラテスになって走る

   第6回 第7回

   テキスト中の人物や本の紹介

    第8回 ジョージ・シーハン

    第9回 長距離走者の孤独(アラン・シリトー)、

        The First Four Minutes(ロジャー・バニスター)


[この連載は、個人の解釈です。著者山西先生の確認を経た解説記事ではありません。]


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今回のテキスト:


第2部 いかに走るか

2-2 人間再生トレーニング


 四季が明確である風土に住む日本人は、「人生には、春夏秋冬とあり」という吉田松陰の言葉を自然に受け入れることができます。今日のように子どもから高齢者までどの年代でも走る時代になってくると、いつでも同じ走り方になるというのではなく、人生の春、夏、秋、冬によって走り方は変わり、それぞれにふさわしいものになってくるはずです。

 春は子どものランニング。心身の発育に応じて走る能力は著しく発達していく。子どもの発育を身長で測るように、走る能力によってもその度合いを知ることができます。夏は青年期。心身の発達が最一員となり、走能力も最も高い時。そして、高度な筋力とスタミナを持ってスピード豊かに走る姿は力強いのです。秋から冬は、中高年の時代。筋力、持久力といった体力は下降し始め走る勢いも乏しくなってきます。しかし、他のスポーツ種目とは違い、マラソンやウルトラの中心は中高年であり、わが国のフル完走者は男女とも40歳代が最も多いことでもそれを証明できます。むろん、人生の夏を過ごす青年の長距離の記録には40、50歳の中年では及ぶことはとても不可能です。それよりは、より人間的深みと広がりのあるランニングトレーニングをする必要があるのです。

 しかし、ランニングの多くの情報や考え方、そして方法はどちらかといえば春や夏の時代であるアスリートランナーを対象とした記録の向上を目指したものがほとんどであり、中高年の特性を生かすものが余りに少ないと思われます。そこで、ここでは人生燃え尽きるまで「いかに走るか」を述べてみます。


1.中高年からのランニング


 中高年は「スタミナ」と「技」と「精神力」の総合力的な時代なり。走るとは、「精神力」「技」「体力」つまり、心技体と言う総合的な人間力の表れであり、この3つの力を、調和させながらどこまでも長く走ることができるかという喜びを持つ運動文化です。

 さて、中高年の特性は大まかには次のようになります。


(1)走るための健康をつくる

 健康とは病気ではないことと定義されることが多いです。しかし、本来の健康とは、寒暑や風など周りの環境に適応する力であり、いかなる環境の変化や困難さにも耐えられる予備的心身のエネルギーをたくさん持っているかということです。それには、フロイドがいう、光や風といった自然にふれながら身体活動することにより、もっとたくましい健康をつくらねばならないのです。

 そこで、運動不足によって体力の低下の著しい文明化の進んだ時代では、病気の予防のための健康つくりにはじまり、次に、ランニングをするためのトレーニングと段階を踏んで行かなければならず、日常の生活に足や腕を使った身体活動を多くして、昔のたくましい中高年に少しでも戻る生活トレーニングがランナーになるための健康です。


(2)走る体力をいかに作るか

 筋力や運動神経、柔軟性は、30~40歳から低下しはじめ、50、60歳になれば衰えはいちだんと激しくなっていきます。それをランニングに結びつけてみると、脚力、背筋、腹筋などの低下で歩幅が狭く、フォームも小さく、スピードがなくなり、短距離走はむろんのこと、1500m や5000m でも記録も悪くなってしまいます。 しかし、スタミナの衰えは少なく、スピードを落として長く走り続けることは青年に負けないくらいで、フルやウルトラへと距離を延ばすことはさほど難しいことではないのです。

 となれば、まず、日々の走りは効果の大きいゆっくり走を中心にしてから始め、トレーニングが楽しくなるコツでしょう。 しかし、スタミナを支えるのは心肺機能だけではなく、筋肉や腱、関節であり、そして脳と筋肉の結びつき運動神経をつくる筋力トレーニングも実施しなければなりません。


(3)技はペースである

 走能力を上げるためには、スタミナを活かすコツや合理的な技が必要であり、良いフォームや快適なペースを身につける必要があります。


(4)粘り強さという精神力

 年齢を重ねていくことは我慢強い忍耐力を創っていきます。72歳のUさんは「古希を迎えた今日、この老体をひっさげ、いきなり壮年群に伍して駆け出した」と走り始めました。 長く走り続ける精神力はすでに加齢とともにつくられているので、毎日走ることやゴールまで目標を諦めないで走るのは精神力であり、若いランナーは3、4年で止めてしまう者が多いのに対し、中高年は怪我や病気にならない限り亀のように路上の人になって動き続けることができるのです。


(5)中高年の記録はどこまで伸びるか?

 これまでの多くのランナーを見ていると、80歳から歩き始め90歳でも走ってる人もあれば、アル中で家族を悩ましていた人が50歳を過ぎてから走りだし、60歳でサブスリーになる人もいたり、私のように20歳からフルを走り、40歳前後から加齢とともにワースト記録を更新する者もいます。

 しかし、フルの記録からいえば、年齢の最高記録は20歳から30歳にかけてですが、走り始めてからの年数でみれば、最初の5年で伸び、次の5年から10年で自己最高、そして10年目から15年で必死に維持をし、それ以後は下降の一途を辿るというのが、一般的傾向と思われます。


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 今回のテーマは、「人間再生」を実現するためのトレーニングです。人間再生とはどのような意味でしょうか。


 著者山西氏は、冒頭で人の一生を通じたランニングの変化を春夏秋冬の四季の移ろいに例えて、「春は子ども」、「夏は青年期」、「秋から冬は、中高年の時代」と言います。体力が下降し始め走る勢いも乏しくなってくる中高年であっても、「より人間的深みと広がりのあるランニング」においては輝きを持つことができると指摘して、そのためのトレーニングを紹介するのが本章です。


 「再生」を辞書で調べてみると、「死にかかったものが生きかえること。蘇生。復活。」(広辞苑)とあります。体力が低下してより若い人たちに敵わなくなった中高年であっても、その年齢に適したトレーニングを行うことで、「人生燃え尽きるまで」走る楽しさを得て、中高年が人間としての新たな輝きを得る。そのようなことが「楽しいランニング」を通じて可能なのですよ、そう著者が語りかけてくるようです。本章の「人間再生」とはそのような意味であろうと思います。


 そうすると、本章のテーマは、中高年を対象とした「いかに走るか」の指針ということになります。トレーニングメニューの一例は、本章の後半に記載されていて(次回に掲載予定)、今回のテキストには、中高年の特性がまとめてあります。



1.中高年からのランニング


 中高年は心技体の総合力的な時代だと著者は言います。こう言われると高齢者の一人でもある私などは、自分に心技体が整っているだろうかといささか恥ずかしい気持ちにもなるのですが、体力任せの青年期ではないよ、という程度にまずは理解しておこうと思います。自己ベストの更新を目標に努力を重ねているランナーは多いですが、年齢とともに記録が低下してくることは避けられません。そこだけを捉えてネガティブ思考に沈んだり、しかたがないからゆっくり走ろうといった「でもしか」思考に傾くのではなく、いやこれからは心技体の総合力を活かすのだと前向きに考えたいのです。


 「どこまでも長く走ることができるかという喜びを持つ運動文化です」という著者の言葉は、中高年の背中を押してくれるエールに聞こえます。ここでの「長く」とは長距離の意味もあるでしょうし、「末永く」の意味もあるように思えます。私達が永く走り続けることが喜びともなり、それが私達の生活に広く根付いてゆくことが一つの文化ともなっていきます。


(1)走るための健康をつくる


 健康のために走るという人は多いのではないかと思いますが、著者は反対のことを言っています。走るために健康をつくるというのです。楽しく走り続けていくことが人間の再生につながるという著者の信念に照らして考えればこれは自然な流れであり、走ることのできるようになるために健康を作ろうという主張です。


 「本来の健康とは」と著者は釘を刺しています。単に病気ではないことというよりも、「もっとたくましい」健康が要求されるのだと言っています。世界保健機関WHOは、1946年、WHO憲章の中で健康を次のように定義しています。「健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが 満たされた状態にあることをいいます。」(日本WHO協会による仮訳)。この定義の原文には、「complete physical, mental and social well-being」とありますので、体力の衰えてきた中高年は「complete」な健康状態と言えるだろうかとの疑問が湧いて来ないわけでもありません。この点については、別途まとめています。以下のリンクからどうぞ。

  https://drive.google.com/file/d/1NIHGQWRVgc5C4kCOpnEG7xiEM2flgaGQ/view?usp=sharing


 著者の主張する段階を踏んだトレーニングを図示すると次のようになるでしょうか。


 このように図示してみると、「病気予防のための健康つくり」は、言わば、「『ランニングをするためのトレーニング』をするためのトレーニング」ということもできるでしょう。よく言われる「健康つくりのためのランニング」はここに当てはまるように思うのですが、その段階で足踏みをして止まってしまったのでは、人間再生には程遠く、あまりにもったいないように思います。やはり、「楽しいランニング」を生活に取り込むことによって心技体の整った人間再生につなげたいものです。


(2)走る体力をいかにつくるか


 ここでは、中高年の特性として、スタミナの衰えは緩やかであることが指摘され、ゆっくり走から始めるのが楽しくトレーニングをするコツであるとアドバイスされています。同時に、ゆっくり走だけではなく、筋力トレーニングも行うことが推奨されています。


 「ランニングの世界」第27号(2022)には、富山大学名誉教授の山地啓司氏による「シニアランナーの筋肉トレーニングの必要性と実践法」が掲載されており、参考になります。


(3)技はペースである


 LSD(ロング・スロー・ディスタンス)を提唱したジョー・ヘンダーソンは、70歳を超えて、「Learning to Walk」(歩くことを学ぶ)を表しました。ゆっくり走ることや歩くことを含めたペースについて彼が述べた次の言葉は、山西氏の考えと共通しているようで興味深いものがあります。


 「Pacing is also a weakly, monthly, yearly, careerly concept.」(ペースは、週単位、月単位、年単位で考えるものであるとともに、生涯を通じて捉えるべき観念なのです)


(4)粘り強さという精神力


 「中高年は、亀のように路上の人になって動き続けることができるのです」。街を走るかなり高齢の方を見ていると、失礼ながらとぼとぼと歩いているのとさほど変わらないようで、若者のような颯爽とした姿とはなかなか言えません。しかし、その表情は柔らかく、その年齢に至るまでおそらく長年走ってこられたのであろう姿には自信やプライドすら感じられます。


 まなじりを決して走るのでなく、淡々としたその姿からは、著者山西氏の言う「一生楽走」の言葉が思い起こされます。上述のヘンダーソンは、LSDを紹介した本(注1)の5年後に出した「Run Gently, Run Long」という本(注2)の中で、走る楽しさ、走る喜びをずっと続けたいと願い、「停滞することなく川の流れのように、一生の永きに渡って進み続けたい(keep going)」と述べています。山西氏の言う粘り強さとは、長い距離を走る精神力である以上に、永きに渡って走る生活を続ける精神力の意味であろうかと思います。


注1 Long Slow Distance, the human way to train (1969) 全訳 LSD - 人に優しいトレーニング

注2 Run Gently, Run Long (1974) 部分訳 優しく走る、永く走る - LSD 5年後のフォローアップ

注1・注2ともに、楽走プラス「楽走の本棚」で邦訳(北島)をご覧いただくことができます。

https://drive.google.com/drive/folders/1RJQt6lurOTtUyAtoSQLw8o2_FiSmLEW3?usp=sharing


(5)中高年の記録はどこまで伸びるか?


 60歳でサブスリーのいさましい例も挙げられていますが、そこを目標にする趣旨でないことは明らかです。著者も、加齢による変化についての一般的傾向を述べるにとどめています。



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